マニュアルにはない子育て
長女がハワイの女子校を卒業したのが
17歳の時で、
あっと言う間にこの5月に卒業。
ですが、大学4年生の時に同時に大学院にも
通いましたので、また来年の5月も今度は
大学院の卒業式です。
卒業式の際には、担任の先生だった
オバマ大統領の妹さんの
マヤさんもお嬢さんと一緒に来て下さり、
ハワイ式のフラワーレイで盛大に
昨日の事のように思い出されます。
そして改めて
これまでの子育ての事を思い起こしてみました。
ですが、これといった子育てという記憶が
全くありません。
しかも、この5月に長女が卒業だというのも
忘れてまして、慌てて家族のニューヨークまでの
チケットを手配し始めた所で、
おまけに何かの書類に記入しなければならない度に
娘達に、「今、何年生だったけ?」と
確認しますので、呆れられています。
学校を休ませて旅行に連れ出したのも
度々で、
校長先生から電話がかかってきましたが
その校長先生も諦める程でした。
こうした形になっていきましたのには、
思えば妊娠中に考えた事が大きかったように思います。
妊娠中には何十冊もの子育ての本を読みました。
母から「一体何人、子供を産むの?」とか、
「皇室の赤ちゃんを授かったような感じね」と
からかわれた位です。
その沢山の本を読み終えてわかった事は、
「ようするに何でもあり」、という事でした。
何故なら、
褒めて育てよ、というのもあれば、
厳しくしつけよ、というのもあり、
それぞれの著者が信じる方針が、
どれもが一理あるように
書き綴られています。
という事は、1つの正解があるのではない、
という事がよくわかったのです。
そう思いますと、とても気楽になり、
気負いが全部なくなりました。
教えではなく、
妊婦の自分が気分良く過ごせる音楽を聴くのが
心がウキウキするのもわかりました。
気をつけたのは体重の増加と、
子供がアトピーやアレルギーになる
可能性を秘めた食品を
口にしない事くらいでした。
生まれてからも、マニュアルのように
褒めたり叱ったりせず、
自分の気持ち通りに
そのまま接していました。
いわゆるトイレトレーニングというのも
全くしていません。
親子でそんな事に躍起になって、
落ち込んだり、叱ったり、
褒めたり、
そんな情緒不安定になるような事を
あえてしなくても、
「成人するまでオムツをする事はないだろうから」、
と全く気にもしなかったからです。
すると子供の方から、
「オムツをしたくない」、と
すぐにトイレに行くようになりました。
子育て中には、
歩き始める時期、
言葉を発する時期、と次々に
気にされるお母さんもいらっしゃいますが、
できるだけ早く、というのを目指すのではなく、
気にしなければならないのは、
「その原因には、
大きな病気が潜んでいるのではないか」、という点くらいで
十分だと思っています。
特に会話が成り立たない時期の病気の可能性は、
本当に少しでも早く発見して対処しなければ
なりません。
これほど何も気にしないで育てても、
子供はそれなりに育つんだな、というのが
実感です。
それを思いますと、
そういった本や
インターネットもなく、
それどころではなかった戦時中に
育った子供の方が
親孝行で道徳心があり、
正直で
真面目に勉学に励んでいたと
よく聞きますので、
案外マニュアルよりも
視点を変えてみるのも
いいのではないかと
思っています。
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