東日本大震災3年目に考える事。。。
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日本時間の今日は、
あの東日本大震災から3年目になります。
こちらハワイでも、
日本語テレビで
これまでの復興への歩みや、
今後の見通しについて
様々な番組が放映されています。
津波がくるまでの時間に
高台に避難する事を真剣に考えれば良かったと
悔やまれる方も多いかと思いますし、
先行きが不透明な中、
途方に暮れていらっしゃる方々も
たくさんいらっしゃると思います。
誰もが色々な角度からの
意見を述べる事はできますが、
私を含めまして
実際にこの大災害に遭っておらず、
また原発産業にも携わってない人間の意見は
実体験からの考えからとは
かけ離れたものではないかとも思っています。
そんな中、数日前に2つのドキュメント番組を観ました。
1つは、小学生のお子さんを亡くされ、
それも避難の時間は十分あったものの、
大丈夫だろうと判断された結果の悲報だった
お母様のお話です。
その方がボランティアで
各地から被災地を見学に来られる方の
案内をされる時に、
ピースサインをしながら写真に納まる姿を見ると、
「ここへは二度と来るな」と憤りを感じられたそうですが、
月日が経つにつれ、今度は
「忘れて欲しくない、とにかく来て欲しい」と思われるように
なったと、心境を語っていらっしゃいました。
私はそのお話を聞いた時
言葉を無くしました。
日本人というよりも、
人間としての、心、というのは
どこへいってしまったのか。。。
ハワイに於いても、
日本人の観光客が閉め出された場所があります。
パンチボウルという所ですが、
昔は観光の定番スポットでしたが、
ここはハワイの公園墓地です。
高台からの眺めが素晴らしいので
気分が高まるのか、
お墓参りに来ている方々の
厳かな気持ちも考えず、
ピースをしてワイワイガヤガヤ、
大騒ぎを日々繰り広げますので、
訪問禁止になりました。
これはパールハーバーでも同じです。
日本軍が攻撃して真珠湾に沈んでいる
戦艦の上に建つ
アリゾナ記念館までの船中、
船内では当時のビデオが流され、
そのナレーションを聞きながら
涙を流している方々もいるのに、
英語の意味がわからないとしても、
まるで観光船に乗っているかのように
大ハシャギで、
記念撮影と大声でのお喋りに夢中の光景は
恥ずかしくショックでもありました。
またもう1の番組は、
震災当時のヘリコプター救助活動に
ついてのドキュメンタリー番組です。
待機時間が3時間以上という時が多々あり、
悶々とした中での
指示待ちの時の心境を語っていらっしゃいました。
原因はライフラインの切断により
現地との通信ができなくなった為に
情報がなく、
「ただただ、出動命令を待っていた」、との事です。
自衛隊もあたっている筈なので、
「重複しても。。。」、という意見や、
「状況がわからなかったので。。。」、というお話もありました。
ですが、既に甚大な被害状況である事は明白なのに、
何故、空から救助を待つ方々へ少しでも
勇気を出してもらえるように
飛行する事が決断できなかったのか、
これも私にとっては驚きでした。
もし自分が遭難したり、
屋根の上で助けを待っている身だとしましたら、
陸路の避難路が断たれている現状では
空から手を振って、
自分の存在を知ってもらえるだけでも、
勇気をもらえると想像します。
普通に想像できそうな事が、
何故マニュアルや
前例に従うという枠に当てはめられるのか。。。
この想像を超えた津波の発生自体こそが
マニュアル想定を超えているのに、
その対処をマニュアルで対応しようとするのには
無理があるのではないかと思いました。
そういった中、改めて考えさせられますのは、
思い残す事のないように
日々を感謝の気持ちで今を生き、
遺された方々は
亡くなられた方々の供養をし、
天国にいらっしゃる皆様が心配されないように
今を生き、
そして思い出したくない記憶や体験こそを
次の世代に語り継ぎ、
次世代が真剣に考え、学び、
その経験が少しでも活かされるような機会を作り、
前例にはなくても、
緊急事態には的確な判断と実行力がある人が
即断できる連携をとる体制と、
楽観的で希望的な観測を超えた
事前の対策で万全を期し、
人ごとではなく、
誰もが自分ごととして感じられる、
人としての気持ちを育てる大人の役目も
あると思います。
日本の美しい桜が開花する季節は間もなくです。
海外に住んでいる私達にとりましても
決して忘れる事ができない3月11日です。
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